よめこな日常

闘病・日常・趣味等々

SLEがわかるまで

こんにちは、よめこです。
このブログでは闘病についても記載していこうと思っているので、まずは私がメインで患っている「SLE(全身性エリテマトーデス)」のお話を。

 

確定するまでの流れも併せてつらつら語っていきますので、もし今同じような症状に悩んでいる方の参考にもなれば幸いです。

 

※お読み頂く際の注意事項※
記載者は医療やそれに準ずる専門的な知識を有していません。書かれている事はあくまで個人の見解であり、治療などの有効性を示すものではありません。必ず主治医、専門医の指示に従うようお願いします。

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SLEの確定診断。
私が診断されたのはもうすでに20年近く前ですが…
病名が決まるまでも、みんな様々な道を辿っているんだな…と、色々な体験談を拝見して思います。


私はおそらく緩やかに症状が出てきたタイプ。
それ故に兆候から確定までおよそ5年ほどかかる事になりました。
思い返せば長い道のりだなぁと思い、忘備録として書いていきます。

 

ではでは、ざっとした時系列で記載しておりますがどうぞ。

 

私ってすごい冷え性だったんだ
実は、SLEが実際に発症した正確な日はわかりません。
ただ、その兆候と思われるものはありました。

時は遡り中学2年生。
私は当時バドミントン部に所属し汗を流していました。
異変が現れたのは冬その年の冬。ラケットを持っていない手(左手)が、冷えると白→紫へと変な色に変わったのです。

初めて見た時は凄く驚きましたし、チームメイトや先生にも心配されました。しかし別に痛みがある訳でもなく、温めれば正常に戻るのです。

これはSLEの典型症状のひとつである「レイノー症状」だ!

…なんて判断してくれる人は周りにはおりません。もちろん私も出来ません。

そういえばもともと、風呂上がりに即靴下を履かないと指先が冷える自分。
そこでたどり着いた勝手な答え。



「私ってすごい冷え性だったんだ」


冷え性が進むと人間ってこんなに色変わっちゃうんだすげー。

なんて勝手に感動していました。無知&素人判断ってこっっっわいですね。


時には黒に近い色にもなる為、凍傷にでもなったら危ないのではと親も心配はしていました。しかし色以外に何かある訳ではなかったので、冷えるとここまでになっちゃうのねという感じ。
しょうがないから冷えるときはしっかり暖かくしましょうね、程度で片づけておりました。もちろん病院に行くこともありませんでした。


その後、練習中の左手には指先だけ出た手袋を付けたり。休憩中はホッカイロをあてたり。本当にそれだけだったので特に何か不自由をする事もなく…。


そのうち同じ症状が右手にも出ている事に気づき、また春先の少し暖かくなるような時期でも出るようになって来ました。更には夏の時期の冷房下でも。

しかし相変わらず何を疑う事なく、変わらず「温めれば大丈夫」の対処法で過ぎてゆくのでした。




アトピー性皮膚炎ですね

次の兆候が出たのは中学3年生の夏頃。
朝、顔を洗ってふと鏡をみると顔に丸い痣のようなものが。
右の小鼻に寄り添うような100円玉程の大きさ。


どこかにぶつけた?
汗でかぶれた?
寝てる時に引っ掻いた?

それにしては痛くも痒くも無い事を不思議に思いつつ、ニキビとかも出来やすい時期だったので、放っておけばすぐ治るだろうと思っていました。


しかし、1週間・2週間とそれが消えていく気配はなく。1か月が過ぎる頃には一回りくらい大きくなって、さらに若干紫がかったような色に変わっていきました。

流石にこれはおかしいなと思い、近所の皮膚科へ。
個人経営の小さな皮膚科。近所には他に皮膚科が無いため、激混みの中待つこと小一時間。


先生の触診と問診で、1か月前程から謎の痣みたいなものが出来た事を説明。

「過去に何か皮膚の疾患にかかった事はありますか?」
先生にそう聞かれ、割と最近までかかっていた一つの疾患をご説明。


そう。
実は私、稚園から小学校中学年頃までアトピー性皮膚炎」に悩まされていたんです。首や手足の関節付近もちろん、顔や耳の裏まで赤くボロボロになるレベルのものでした。

塗り薬治療と、親身に診て生活などのアドバイスをくれた先生。そして成長していく上での身体の変化だったのか、小学校高学年になるくらいにはほぼ完治。皮膚科通いも終わっていました。

アトピーを診てくれていた皮膚科は、先生が高齢だったこともあり残念ながら閉院。
…とても博識な先生だったので、もしこの皮膚科が続いていたら、痣の出来た顔を見せた時点で何か変わっていたかもしれません。


で、話は戻りまして中学生の私。
アトピー性皮膚炎の話を聞いた後、先生はさらに顔を触ったり見たり。


そして…
アトピー性皮膚炎ですね、きっと」


今なら「はぁ?」って返せるんでしょうけどね。これまた当然ながらなーんにもSLEの事など知らん私。でも一応、返しの一手は打ってみた当時の自分。

アトピーでこんな痒くも痛くもないものって出るんですかね?」

「ほぼ完治していても、また疲れた時とかちょっとした体の変化で出てくる事もあるんですよね。でき始めだからあまり痒みとかないんじゃないでしょうかね」


はぁぁぁぁ?そんな事あるもんかい(←今の自分)
へぇぇぇぇ、厄介なんだなぁアトピー性皮膚炎って(←当時の自分)



結局塗り薬を処方(なんだったかはもう忘れたけどステロイド入りのだったような)。これでしばらく様子を見ましょうとなり、2週間後に再診予約して終了。
実際に塗り薬でアトピーが改善したことがあった為、きっとこれで良くなるだろうと信じて…。


さてさて。
もうお解りの方もいらっしゃると思いますが、これはSLEで出る症状の一つ「紅斑」です。

典型的とされているのは、蝶の羽のように顔の両側に広がる紅斑のようですが、私の場合は顔の片側だけ。さらには1点集中型みたいに狭い範囲でした。


そんなこんなでアトピー性皮膚炎の一部と診断され、塗り薬治療が始まりました。

…が、もちろん謎の痣が消える事はなく。
そして不思議な事に、この痣は日によって少し薄くなったり濃くなったりと変化するんです。

通院の日が少し薄めの日なら、この薬塗り続けよう!
通院の日が少し濃いめの日なら、ちょっと薬変えてみようか!

このやり取りがひたすら続き、終わり(確定診断)を迎えるまで約4年を費やす事になるなんて。今過去に戻れるなら、ほんとその先生を引っぱたきに行きたいです(コラ)

 


若いからって無理しちゃうんでしょ

前項で起きた紅斑。無事に(?)消えないまま私は高校へと進学を致しました。
受かった高校は、まぁいわゆる校則ゆるい系でして。金髪OK、化粧OK的な学校でした。

なので、基本的に紅斑は化粧で隠して登校。
体育でプール後などスッピンになった時に、友人に「それどうした!?」って聞かれることはあるものの、「昔からなんだよね~」って感じで流し。
それに対して変に深追いしてくる友人たちでも無かったし、もちろんそれでイジメ・からかいなんて事も一切なく。
もちろん早く消えてほしいなぁとは思っていましたが、特に痣自体を大きく気にする事無く高校生活を謳歌しました。


そしてこの頃現れ始めた異変がもう一つ。定期的な謎の高熱です。

普段から…というかこの時まで、インフルエンザなどにかかった事もなく。熱を出すような風邪をあまり引いたこともなく。なのに、原因不明の高熱を出す日が出てきたのです。


特に、定期テストの後や文化祭などのイベント事など「忙しいな」と感じる事があった後に出しやすくなっていました。
とはいえ、大体1日~2日間くらい38度台の高熱が出た後は、何事も無かったようにスッと下がり体も元気に。熱が出ている間も特に風邪の症状などはありませんでした。

最初の頃は風邪薬を飲んで寝てりゃ治る方式で凌いでいましたが、流石に何度も高熱を出すのはどうなの?って事になり。
高校2年生くらいの時に、地元では割と大きめの総合病院へ。

診察は血液検査と尿検査と問診。
もちろんこの頃にも紅斑はありましたが、JKのプライド(?)でガッツリ化粧で隠して病院へ。今思えば馬鹿な事やってるなコイツとしか言えませんね。


尿検査、問題なし。
血液検査、CRPが少々高いものの問題なし。

SLE関連の異常は通常の採血では発見できない。
(よほど白血球や血小板に問題があるとか、貧血症状があるとかそちらに症状が出る方はこの時点でも疑われるかもしれないですが…)
SLEを疑う場合は、関連項目を別にオーダーしないといけないんですよ…ね。なのできっと私の場合は、微塵も疑われていなかったのでしょう。

その時に出された診断は「過労から来る風邪と熱」でした。

「ホルモンバランスも変わる時期だし、疲れで熱が出やすくなっているんですよ。若いからって無理しちゃうんでしょ」

そう言った先生には抗生物質を処方され、お大事にと帰されました。
またまたこの診断を信じている自分。この後は高熱が出ても病院に行くことはなく、解熱剤と風邪薬で寝て治す療法を再開させるのでした。



成人式までには治してあげたい

高校を卒業し、特に進学は考えていなかった私。
一応就職活動はしたものの、この頃好きなアーティストさんの追っかけを始めまして。きっちり時間の固定勤務はちょっとなぁとか思ってました。

で、高校時代からバイトで始めたコンビニが楽しかった&融通の利くシフト勤務だったのでそのままフリーターへの道を選びました。
なんと計画性の無い若者だったのか…今思えば怖い…。

相変わらず顔には紅斑があり、突発で熱を出す事があったものの大きな体調不良はなく過ごしていました。

そして成人式まであと1年となった頃に、母親が突然こんな事を言いました。

「皮膚科、変えてみない?」

自分には知識がないから、お医者様の言う通り。というスタンスで、今まであまり治療関連には口出しして来なかった母ですが、珍しくそんな事を言い出したのです。

えぇ、もちろん件の皮膚科には最初に行った時からずーっと塗り薬治療オンリーで通い続けていました。

 

で、母に詳しく話を聞いたところ。
当時、テレビよりもラジオが好きで家事中には良く聞いていた母。その番組のコーナーの一つに「あらゆる皮膚疾患に精通している事で有名な皮膚科医」がゲスト出演していたそうです。

その先生はそこで「皮膚の疾患から、ほかの大きな病気が見つかる事もあるので、中々治らないものがあったら是非専門医の詳しい検査を受けてほしい」というようなお話をされていたとの事。

それを聞いた母は、長年治らない私の顔の痣に改めて疑問を持ち、家事の手を止めてそのコーナーを詳しく聞いたそうです。
すると、その先生の病院は家から電車で1時間ほどと行けない距離でもないことから、そこへ行ってみないかと勧められました。

もうすぐ一生に一度のイベントもあるし。
成人式までには治してあげたい。治ったらいいなと思って。

うーん。まぁ、先生変えたくらいですぐ治るもんかねぇ。
とか思っていた私ですが、せっかく母がそこまで考えてくれているのであればと、電話をかけて直近で予約をとり、診てもらう事を決めました。

でもほんと、人生の分かれ道ってあるんですね。母のこの一連の行動がなかったら、最悪私はいまこの文章を書いているかもわからなかったんですから。

 

 


すぐ紹介状を書きます

診察の初日。出会ったのは女性の先生でした。
第一印象は淡々ハキハキと喋る先生で口調も少しきつくてなんとも怖そう。

顔の痣を見るなり、何か思う事があったんでしょうね。前の病院にはどれくらいかかられていたのですか?と。
もう4年ほどかかっていますと言ったところ…「なぜ改善が見られないなら、早く病院を変えなかったんですか!?」と怒られました。

いやいやそんなん言われましても。病院行って先生の言う事聞いてただけだもん。いきなり怒るとかなんなんこのオバさん。
…当時の私はこんな感じで思っていた訳で。

そして、この時処方されたのは小さい粒の薬。まずこれを1週間飲んで再院して下さいとの事でした。

飲み薬を出されたのは初めてだったので「なんだろう」とは思いましたが、効くのであればと特に疑う事もなくそれを飲み始めました。

まぁあれですね。これ実はSLEの治療では有名なプレドニンだったんですね。
普通、ステロイドは飲み始める際に、きちんと副作用とか説明して飲み始めなければならないと思うのですが、いきなり飲まされてました。今思えばびっくり。

※後で聞いたところ、2週間以上飲ませる気は無く。私の場合は血液検査でSLE確定!って結果がハッキリ出ないタイプだったらしく、ステロイドが効く=SLE疑いかを見極めたかったらしいです。

で。飲み始めて1週間、ほぼ変化なく。再院でもう1週間飲んで下さいと言われ服用継続。そしたらなんと、2週間目に色が薄くなってきたんですよ。紫がかってる感じが取れて赤味だけに戻った感じで。​

再院の時に、いや~これ効くんですね~。なんて浮かれてる私に、先生はすごく険しい表情になり…

「すぐ紹介状を書きます。ここに行ってください」

今まで大病とは無縁の私には聞いたことがない病院の住所と、紹介状の入った封筒が渡されました。

この時にも軽く膠原病疑いの話をされた気もしますが…正直もうその辺は覚えていません。とにかく、私の治ってきた顔(痣)を見た先生の、驚きと厳しい表情だけは今でも覚えています。



顔にメスを入れます

紹介状をもらってから1週間後、大きな病院を訪れました。
親戚の入院のお見舞いくらいでしか訪れた事がないような立派な病院で、ここに来てやっともしかしたら自分ってなんかヤバいのか…?とか思い始めました。

通されたのはリウマチ・膠原病内科。もちろんこの時これらの意味は全くわかりません。むしろ内科って風邪くらいしか見ないものだと思っていたので。

担当してくれたのは男性の先生。とても丁寧な先生で、ここに紹介されるまでの経緯をゆっくり細かく聞いてくれました。それに合わせて採血・採尿・そして皮膚科の先生からのお手紙を読んで、言われたのが。

「皮膚生検をしないと難しいかな…」


せいけん…?聖剣…?(←ゲーム好き)

ざっくりとしか覚えていませんが、やっぱり尿検査は問題ないし、血液検査でもSLEかも…?的な数値しか出ていない。これはもう皮膚組織自体を調べる必要があると。

えっと、皮膚組織って事は皮膚をお渡しするって事ですよね…?

「そうですね。顔にメスを入れます」

えぇぇぇぇぇぇぇ。嫌ですよ。とは言える雰囲気でもなく。
それって手術ですか?麻酔ですか?どうすりゃいいんですか…とビビりまくったのを覚えています。今まで麻酔なんて歯医者くらいしか経験なく、当然肌にメスを入れる経験すらした事はなかったんですもの。

そしてあれよあれよと予定日も決まりまして。
生検自体は顔の痣の一部を1cm程切り取りました。部分麻酔だったので痛くは無いのに切られてる、変な感触がとにかく気持ち悪かったのを覚えています。

先生も顔って事で特に丁寧にやってくださり、抜糸後はほぼ傷跡も残りませんでした。今でも顔をゼロ距離まで近づけて、ここですって言ったら「あぁ~なんとなくわかる~」程度なので先生本当に有難う!!

ただ。生検後、抜糸まではそこに大きな絆創膏を貼っていたので、コンビニ店員をしていた私はお客様に「どうしたの!?殴られたの!?」と言われること数知れず…。

「自転車で転んじゃいまして☆」

って事にしてましたが。それにしては他に擦り傷もなく一部だけって…ずいぶん器用な転び方してるな自分。

 


全身性エリテマトーデスですね

生検から2週間ほどで再院でした。この時はご家族もご一緒にと言われていたので母と2人にて。

診察室に入ってから、結論はとても早く。
「結果は膠原病になります。全身性エリテマトーデスですね」

…?

言われても全くピンと来ていない私。膠原病も最初の脳内変換は「高原病」でした。高山病とかの仲間かなって。
でも、膠原病という言葉自体は知っていたらしい母(芸能人の方がなって、不治の病と言われているのをTVで見た事あるそうな)

その場で泣き始めました。

ちょいちょいちょい。当事者がまだポカーンだから待って。
私より先に「今は治療法もかなり確立してきている病気ですから」と、先生が母をなだめている。もう完全置いてきぼりな私(笑…うしかない)

この時の説明も、もう今となっては断片的にしか覚えていませんが、先生に言われた事は。

・風邪とかを治す免疫が、暴走してしまう病気
・原因は不明。遺伝等では無い
・根治はない。一生付き合っていく事になる
・薬でコントロールすれば普通に生活が出来る
・この先どんな症状が出るかは正直わからない
・10年後に入院してるかもしれないし、一生しないかもしれない

こんな感じの事を説明してくれたような気がします。

特に一生付き合って行くって部分については、精神的な負担もあるお話なので丁寧にしてくれましたが、それでもいまいちピンと来てない自分。

「とりあえず…顔の痣は治るんですか?」

なんて事を聞いてしまいました。
薬ってなんですか?とか通院はどうすればいいんですか?とか、他にも色々聞く事もあるだろうに。

先生も「薬で徐々に落ち着きますよ、でもそれより体のコントロールをこれから考えていかないとね」って若干苦笑い気味でした。

あとは、本当にまだ症状が落ち着いてる今の時点でわかって良かったとも。
私の場合は腎炎等、内臓に症状が出ていなかったのもあり。また、もし悪くなっていったとしても、この状態からなら処置もしやすいかもしれない。むしろこの数年放置になってしまっても落ち着いてるのは奇跡だったかもしれないですねと。

…この言葉が一番怖かったかもしれないです。
病院には行ってたのに、一生モノの病気とわからず適切な治療が出来なかった。もしも…だったら今頃どうなっていたんだろうと。

一通り説明を聞いて、母も落ち着いたので帰路へ。やっぱりショックだったようで帰ってからも高齢出産だった自分が悪いと嘆く母。

ずっと病院に行っていたのになんで見つからなかったんだ!と憤慨する父。

喧しい両親を一発叩いて(コラ)家族会議。

…とはいえ、今のところ食事制限や行動制限は何もなく、服薬以外に出来る事はないのでそこをしっかり守る事と、先生に言われた注意事項。

・薬は用法容量を守って正しく
・疲れやストレスをため過ぎない
・出来るだけ紫外線を避ける
・ネットで病気のことを検索しない

これを守ってやっていきましょうって事で。
あ。最後のネットで~は、やっぱりネガティブな話が溢れているからそれで精神に負担をかけてしまう事が多いからとの事でした。

飲み始める「プレドニン」は副作用の中に「うつ症状」に関する項目もあり、出来るだけ気持ちを後ろ向きに持って行って欲しくないと。
今だからこそわかりますが、症状は人それぞれで進行の仕方や、それこそ落ち着き方だって全然違う。自分には自分の治療法がある事を一番に考えてほしいと、先生は言っていました。確かにそうでしたよ、ありがとう先生。

あ、でも今は調べちゃいますよ。もう病気と共存していく覚悟が出来てるから。そこまでダメージを受けなくなりました。年の功。

 

 

 

 治療開始

むしろ私は、この頃が症状としては一番軽かったのではないかと思います。
紅斑と突発の熱のみ。それだけが続いていましたので。

血液検査で確定できないとはいえ、補体とかあと何かとか(覚えてない)が異常値を示していたようで。ステロイドは15mgからのスタートでした。あと飲んでたのは胃薬くらいだったと思います。

通院は2週間に一度。飲み始めて割とすぐに効果があった&目立った副作用も出ていないのですぐに減薬が始まり、10mgになった時点で一旦減薬は停止。血液の異常もだいぶ落ち着いて早々に寛解状態に入ったようです。
顔の紅斑もほぼわからない位に消えました。

だからだったのかもしれません。
薬はちゃんと飲んでいたものの、それ以外は健康な時とほぼ何も変わらないので…むしろ熱も出なくなったので。
若いが故の過ちというか、病気自体をちゃんと理解していないというか、結構身体を酷使して遊んじゃったりするんですよね。

それを待っていたかのように、ここから細々とした症状が徐々に出てくるようになるのですが…

そちらはまた症状別にお話出来ればと思います。

 

 

はい。以上が確定に至るまでの経緯です。
そしてここまでお読み頂けたんですね。いやはや本当〜〜〜〜に有難うございます!

自分で読んでも長いなとしか思えません。


書いてきた通り、私は発症当時に緊急入院とか凄く大きな症状が出た訳ではありません。
これもまさに症状は十人十色といったところなのでしょう。

普段病気をしない人は特に、ちょっとした症状で大病を疑う事はないかもしれません。でもこのようにちょっとした症状しか出ない場合もある。特にそれをお伝えしたくて書きました。

自身はもちろん、周りにちょっと「あれ?」と感じる症状が出ている人がいる場合は、是非一度専門医の検査を受けてみて下さい。
何もなければないで良いんです。何かあっても早めに気付ければ、良い方向に進む事も沢山あります。


それはなんの病気にも言える事ですが、まだ未知の部分も多いと言われている自己免疫疾患。
早期発見早期治療が、やはり有効ではないかと考えています。

この記事がきっかけになり、
「これって自己免疫疾患の可能性はないんですか?」
と、自ら打診する知識の手助け。そして診断確定のお役に立てたりしたら、大変嬉しく思います。

お医者様の助けはもちろん必要ですが、自分の身は自分で守る。これもまた大切です。

 

 

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